リレーエッセイ

順天堂練馬の外科系医師によるエッセイ
                妙手回春

★ホームページ用


第2回
院長補佐 / 総合外科・消化器外科 教授 須郷 広之    
                                    
須郷先生「変わったもの、変わらないもの」

外科医になって早くも32年が経ちます。この間、世の中の変化には凄まじいものがあります。インターネットが登場し黒電話はなくなり「ダイヤルを回す」も死語になりました。私の故郷ではゴールデンウィークに満開となる「弘前公園・桜まつり」が有名ですが、この30年で桜の開花は2週間早くなり、まさに地球温暖化を実感しています。
外科医を取り巻く環境も大きく変化しました。30年前、手術の美徳は「早さ」であり外科医のイメージは「豪放磊落」でした。実際、そうした先輩方が多く、手術時間の早さが術後成績を左右しました。それが様々な技術や麻酔の進歩、腹腔鏡手術の登場などにより、現在は「早さ」より「丁寧さ」「低侵襲」が術後成績を左右します。実際、以前では考えられない“80代高齢者に大手術”も今や日常となっています。
一方で変わらないものもあります。それは「いい結果を得ようと思えば、人よりも余計に手をかけて時間を割かなければならない」ということです。新しい技術や知識の習得もそうですが、患者さんを良くしようと思えば、結局「よく診て手をかけて時間を割く」ことが重要です。どんな仕事も同じではないでしょうか?アスリートも受験生も農業も、結局「かけたものが返ってくる」のは一緒のようです。手術も素質(センス)よりも学習の方がはるかに重要です。
弘前公園の桜も、開花時期は変わりましたが、その美しさは変わりません。


須郷写真50歳過ぎてのラグビーOB戦(左:救急・集中治療科 杉田学教授、右:筆者)こちらは大分変わりました。


第1回
院長・小児外科 教授 浦尾  正彦   
                                     
 私は浦尾先生朝の渡り廊下が好きだ。ひんやりとした中で朝日が差し込み1日の始まりを感じさせる。私がその感覚を初めて感じたのは外科研修医になりたての頃、夜通しの手術を終えて切除した検体を別棟にあった病理検査室に運んでいるときであった。
 炎症性腸疾患の20歳代の患者さんが前夜に急変し緊急で全結腸切除をしなければならなくなった。深夜にもかかわらず外科の先輩たちは何の躊躇もなく集まり整然と手術をこなした。大変な手術で終了したのは朝であった。一番下っ端の私が検体をもって順天堂医院の渡り廊下を歩いていた時、ひんやりとした朝の空気の中、朝日が差し込み私を照らしたのだ。その時私は自分が今後外科医として歩んでいくのだという決意のようなものを強く感じ、なんだかうれしくなった。
 その後子供を手術する小児外科医になってあっと言う間に35年が過ぎた。先日、重症便秘の40歳代の女性を手術することになった。この方は子供のころからひどい便秘だったが、どの病院でも「たかが便秘でしょ、下剤飲んだら?浣腸したら?」と言われ続けてきた。40代になっておなかはいつでも妊婦の様でどうにも排便できなくなってきた。通常の10倍近い量で浣腸を行って3kgの排便をしたが腹部膨満は取れない。「本当に3kgですか」と私が驚いて尋ねると、「排便後に3kg体重が減るから3kgです」と。あちこちの専門病院にかかっても対応は同じであり半分あきらめていたが、肝機能障害のために順天堂練馬病院を受診した。腹部膨満が尋常ではないことを感じた内科医は成人外科医に相談。そこから先天的な便秘疾患であるヒルシュスプルング病を扱う小児外科に素晴らしい連携で相談が回ってきたのだ。成人では極めて珍しいが腸管組織検査の結果から神経節細胞が無いヒルシュスプルング病であることが分かった。通常この疾患は乳児期に腸閉塞として発見されるが 無神経節腸管が短ければ浣腸などで何とか排便できるため40年もの間苦しむ事になってしまったのだ。まだまだ小児外科疾患が世の中に認知されていないことを残念に思いつつ、小児外科で手術をすることを決定した。
 成人であるが、小児外科で行う結腸プルスルー術を施行した。切除した腸管は研修医の時に持ったのと同じ重さであった。術後経過は良好で、自力で排便できるようになった。「まったく人生が変わりました」と感謝していただけた。外科医冥利に尽きるお言葉を本当にうれしく嚙み締めた。
本日も朝日の当たる順天堂練馬病院の渡り廊下を歩いて病院に向かっている。自分の持てる力を何とか使って患者さんの新しい人生に貢献できるよう今日も頑張りたいと思う。

妙手回春(みょうしゅかいしゅん)とは
手を触れれば春になるかのような、凄腕の医師、また敏腕の医師により病気が良くなること。順天堂の3代目堂主であった佐藤進先生は、1895年の日清戦争中に狙撃された清国全権大使の李鴻章の治療にあたり、これを見事に快復させました。和親条約を締結後、李鴻章は扁額「妙手回春」を佐藤進先生に贈りました。そのレプリカは当院の1号館2階初診受付前にも飾られています。